2009.3.15
新年度生募集中
お蔭様でホームページ効果か、問い合わせが以前よりもずっと多くなりました。お問い合わせ頂いた方、見学された方、見学したい方、これから剣道・古流をやりたいと考えていらっしゃる方、迷っていらっしゃる方、是非「習成館」においで下さい。そして見てください。4月から一緒に「習成館」で剣道を習いませんか。「習い成る館」とも読めますね。
話は変わりますが、「習成館」の名は勝海舟が名づけたのですが、この「しゅうせいかん」という音(おん)は鹿児島の集成館と何やら関係がありそうな気がしています。明治10年の西南の役で西郷が亡くなり、勝海舟は西郷を思い、鹿児島を思い「音」が一緒になったのかな〜と考えたのですが、皆さんはどう思われますか。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
集成館事業(しゅうせいかんじぎょう)とは、薩摩藩第28代当主島津斉彬によって起こされた日本最初の洋式産業群の総称をさす。
1851年に薩摩藩主に就任した島津斉彬は、藩主に就任するや、それまで長年温めていた集成館事業の計画に着手し、現在の鹿児島市磯地区を中心としてアジア初の近代洋式工場群の建設に取り掛かった。特に製鉄・造船・紡績に力を注ぎ、大砲製造から洋式帆船の建造、武器弾薬から食品製造、ガス灯の実験など幅広い事業を展開した。島津斉彬の集成館事業は軍事力の増大だけではなく、社会インフラの整備など幅広い分野まで広がっている点が他藩と一線を画す。1858年に斉彬が亡くなった後、財政問題などから集成館事業は一時縮小されたが、1863年の薩英戦争においてイギリス海軍と交戦した薩摩藩は、集成館事業の重要性を改めて認識し、集成館機械工場(現尚古集成館)、日本初の紡績工場である鹿児島紡績所を建造するなど日本の近代化に貢献した。